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発達障害グレーゾーン、現在中学2年生。

 ただいま、戻りました~!

しばらくお休みします!と報告してから約8カ月。
意外と早く戻ってきた!と私もビックりしております笑

というのも、先日、相模原の悲しい事件があり、
これは私たち保護者はずっと発信し続けなければいけないのだ!と
確信したからです。
娘が生まれてから、いろんな不安と苦労のなか、障害があるかないか分からないときから、
楽しく、明るく暮らしてきました。
このブログを振り返っていただければ、わかります。

息子も、娘も、大切なわが子です。

娘が障害者という位置づけになったのは、中学校になってからです。
小学校までは元気と勇気、やる気と素直さとちょっとした工夫で
みんなと一緒に学んで生活してきました。

しかし、勉強が娘には合わなくなり、療育手帳を取得し
中学校から特別支援学級の知的障害クラスに入ることになりました。

ここで、疑問です。
「勉強についていけなくなったから、支援学級へ」と言われます。
でも違うと思うのです。
「その子にあった勉強をするために支援学級へ」とういことだと思います。

一人一人にあった学習をするために。

しかし、知的支援学級といえば作業がメイン。
何のために作業をしているのか?自分は何をしたいのか?将来何になりたいのか?
そういうことは置き去りになりがちです。

偶然、娘の通っている学校だけなのか、それとも現在の支援学級のほとんどが
そうなのかわかりませんが、娘の学校は知的支援学級が隔離された状態にありました。

半地下の作業室での午前中の作業。
学校だよりには支援学級の行事などは載らない。
交流学級への参加はほとんどなし。
PTAの参加もなし。
学習は午後からの1時間か2時間。
教科の学習は美術や家庭科、保健体育、理科などはなし。
算数と国語と英語の内容はカルタや塗り絵など。
運動会や合唱祭は交流学級には参加できず、支援学級だけで毎回敢闘賞をもらう。

こんな状態で、子供たちが社会に出るのです。
中学校からこんなに隔離されていて、お互いに理解が進むのでしょうか?


だいたいのお母さん達は心が折れます。
そういうものか・・・と思ってしまいます。
私も折れかけの一人です。
でも、たくさんの人に支えられ、踏み出しました。

去年の暮、校長先生とPTA会長へ現状を訴えに行きました。
感情的にならないように、入学してから現在の状況までを
パワーポイントで作った資料を持って、紙芝居方式で楽しく、でも力強く訴えてきました。
隔離されず、みんなと同じような扱いをしてほしい。
作業だけでなく、学習させてほしい!と。

校長先生は、何も知らなかった・・・。と涙をポロリ。
PTAでは本部役員のお母さんたちも一緒に聞いてくれました。

それから、少しずつ変わってきています。
2年生になると、新しく美術が増えました。
勉強も漢字検定の問題や、英語の会話練習、九九の問題などが取り入れられるようになりました。
交流学級でのクラスレクや校外学習にも参加できるようになりました。
学校だよりには支援学級としてのお泊り会などの様子が写真付きで紹介されるようになりました。
学年の保護者全体会にも参加できるようになりました。

そんな中、娘はどんどん変わっていきました。
少しずつ自信を取り戻し、1年の後半は学校へ行くときに
耳栓が欠かせなくなっていたのですが、2年生からは耳栓無しでも大丈夫になりました。
人の目が怖い!と言っていたのも、今は少なくなりました。

中学に入ってから、少しずつなくなってきていた元気とやる気が
2年生になって、どんどん復活してきています。

忘れられない言葉があります。

「私は普通と障害のハイブリッド」

小学校時代は普通クラスで過ごし、中学は知的支援学級。
どちらも知っていて、できることもあれば、できないこともある自分。
一般的にはグレーゾーンと呼ばれたり、最近ではレインボーゾーンなどと
言われていたりしますが、それを自分で「ハイブリッド」というなんて!

ふと、思い出しました。
旦那が、在日韓国人3世なんです。
子供たちの事を「ハーフ」と言わず「ダブル」と言うんだよって教えてくれました。
遠い昔の話ですが・・・笑
ポジティブな言葉だなって思いました!

これからも、ポジティブな言葉を溢れさせながら、過ごしていきたいと強く思いました。

そして、こんな我が家の楽しい生活を知ってもらうためにも
やはり、ブログは続けていこう!と思いました。


娘の成長と、時々面白い息子のエピソードなども・・・・。
どうぞお楽しみに♪


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ちょっと、お休みしますね。

あっという間に今年も残り約1か月。
みなさんお元気にお過ごしですか?

4月から、息子が高専へ入学し初めての寮生活、娘が初めての支援学級入学。

めまぐるしく変わる環境の中、少しでも今の状況を残そうと続けてきたブログですが、ちょっとの間お休みしますね。

娘の通う、知的支援学級。

中学校自体は大きな学校で1学年9クラスもある大きな学校です。
約800人ぐらい生徒がいる中、支援学級は3クラス。

知的支援学級が1クラス。
情緒・自閉症学級が2クラス。

市内の中学校で情緒・自閉症学級があるのはここ1校だけです。

娘が通うのは知的支援学級。

知的発達の遅れがあるかないかで知的支援学級か情緒・自閉症学級かに分かれます。

そして、このクラス分けが社会への進む道を分けるのです。

知的支援学級は普通クラスとは全く別の扱いで、特別支援学校の分校のような感じです。
普通クラスとの交流もほぼありません。
通常の授業は作業がメインです。テストもなければ、成績も付きません。
なので、通常の高校に進学することはできません。
卒業後は支援学校の高等部か福祉作業所などに行くという流れです。

情緒・自閉症学級は普通クラスに席を置きます。朝の会と帰りの会などに集まり、あとは普通クラスに行って勉強をします。
何か心の乱れや、落ち着かない状況になった時に、情緒・自閉症学級に戻ってきて先生がサポートします。
テストもあるし、成績も付きます。

今いる学校は、このような状態なのですが、この2種類の支援学級の状態を理解されず、置き去り状態になっています。
特に知的支援学級は隔離状態なんです。

何度も入学前に、体験や見学や相談を繰り返していたのに、こんな状態とはわかりませんでした。

この状態を改善してもらうためにも、本気の校長面談を申し込むことにしました。

どれだけ変われるかわかりませんが、やるしかありません。

なのでちょっとだけブログをお休みしますね。

たくさんの問題があるんです。

・支援学級と交流学級のかかわり
・支援学級の学習カリキュラム
・支援学級と市内の支援学校との合同行事の関係
・支援学級のPTA役員の問題
・知的支援学級と情緒・自閉症学級の関係
・先生・保護者への支援学級の理解

いろんなことを私が一人で悩んでいる状態です。
支援学級のお母さんたちは「人に迷惑をかけずにひっそりと生活したい」と思う人が多いようです。
不満や疑問に思っても、迷惑をかけられない・・・・。と思うようです。
他にも、この支援学級じゃ将来を望めないと、学校はとりあえず行くだけで、家庭教師に任せるという人もいます。
いろんなお母さんたちの考えや意見をどうするかも、考えないといけないですよね。

たった3年間の中学校生活ですが、子供たちは身も心も大きく成長する時期です。
特に障害を持った子供たちは自分たちの障害についても理解してくる時期ではないでしょうか?
生きる楽しみ、生きる価値観なんかも考え出す思春期です。

そんな時に、一般の生徒たちから隔離され、半地下の作業室で作業ばかりさせられている今の学校が本当に残念で仕方がありません。

隔離から生まれる、無理解、無関心。
無理解、無関心から生まれる差別や偏見や誤解

まさに負のスパイラル・・・・。

これをひっくり返すには、声を上げるしかないと思います。

なので、ちょっとだけお休みします。
次は、こんなに変われた!こんな良い方向に向かっている!!と報告できるように頑張りますね。

ちなみに・・・・。
息子とのこともちょっと。

高専の寮に入った息子。
連絡はほぼなし。元気にしている証拠かな?お金が足りない時に連絡が来ます(^_^;)
パフォーマンス同好会に入って、ディアボロを軽快に回しています。
文化祭ではたくさんのお客様の前で、披露!!少しは自信がついたかな?
屋台で「ダンピン」という台湾の屋台料理を焼き、パフォーマンスを2回もやり、とても楽しんでいました。
そんなこんなで、楽しむだけ楽しんでいるおかげで、勉強はそっちのけとなり、楽しい経験と引き換えに1年生から留年の危機を手に入れました。1年生から先生に呼び出しを食らう母の気持ちをわかっているのか!と嘆きたところをグッと我慢して、様子を見守っております。
家を出て、寮に入るときになが~い手紙を書きました。
これからは、自分の力で、自分の責任で生きてください!と。
寝坊しても起こしてくれる人はいません。勉強しなさい!という人もいません。ご飯食べたの!風呂入ったの!忘れ物ないの!
なんて言ってくれる人もいません。食事は出ますが、掃除、洗濯は自分でしなければなりません。
面倒くさくても、誰も代わりにはやってくれません。強く生きてほしいです。

こちらも、無事に進級できた~!と報告できるようにしばらくお待ちください!

とにかく、子供たちには問題が山積みですが、我が家の誇れるところは、「ザ!健康!」。
ここ数年、熱を出して寝込むことなく、入院・けが等も一切なし!

この「健康」を武器に、突き進んでいきたいと思います。

ではでは~またお会いする時まで~。

療育手帳の取得の手続き。

梅雨、真っ只中のムシムシとした毎日・・・・。
みなさん元気にお過ごしですか?

今日は療育手帳の手続きについて記録したいと思います。

私の住んでいる町ではまず、市役所に手続きに行きます。
すると、申請書類を渡されます。

そして、それを記録し、再び市役所へ。

すると児童相談所での面接の日の連絡待ちとなります。

だいたい、どこの市町村もそうだと聞きましたが、療育手帳を申し込む人が多いのか?はたまた、手続きをする職員が少ないのか?かなり待たされるのが現状です。

私の場合、市役所に手続きをしてから、面談の日の連絡の電話が来るのに約2週間、そして面談の日はさらに2か月後でした。

娘は皆勤賞をとれるほどの健康優良児。
この数年、風邪もひかず、熱も出さず、体調不良もなく、けがもなく、学校を休むことはありませんでしたが、残念ながら検査や面談の日は学校を休まなくてはなりません。
休まなくても良い方法はないものか?と思います。

そして、面談の日。

娘に手帳のことは説明せずに、いつもの発達検査を、いつもと違う場所でする!と言い児童相談所へ行きました。
なんだか隠しているようで心苦しかったです・・・・。

そして、とにかく待たされるんです。

受付に行くと、今日一日の流れの説明などはなく、「こちらでお待ちください。」、と言われ、「検査をするので・・・・」と、、娘だけ連れられていきます。
何分ぐらい何をするのかわからないまま、私は今までの成長の過程で何ができたのか?何ができなかったのか?の質問形式にこたえていく、検査表を渡されます。

それを記入して待ちます。
その後は娘が戻ってきて、私と娘と一緒に医師の診察。
と言っても10分ほどの対面質問だけ。

これでいったい何がわかるんだろう・・・・。

最後に言われたのが「娘さんはグレーソーンなので、手帳が出るかは会議にかけられてその時の判断になります。」とのこと。
これで、手帳取得の面談は終わりです。約半日かかりました。

なぜ、その会議に私は呼ばれないのか?
どこでどのように開かれる会議なのか?誰が決めるのか?

わからないことだらけです。

本人は小学校6年生。
会話もできれば、感情だってあるのに、説明されるのは親の私だけ。本人は置き去り状態。
まだ小さいからなのか?本人に話してもわからないからだろうか?

いろんな疑問とこれでいいのか?という不安が募り、帰ってから、娘に手帳の説明をしました。

手帳があるというのはどういうことなのか?とても難しい事だと思いましたが、理解できてもできなくても、嘘はつきたくないし、ごまかしたくない。

本人のことなのに、本人が知らなくて、いいはずはない。

手帳の認定まで、もやもやとした数週間。

認定がおりたとの手紙がポストに入っていたのは約3週間後のことでした。

今度はそれを持って市役所に手続きに行きます。
すると手帳と分厚い、福祉のしおりを渡されます。

「ここにすべて書いてありますのでよく読んでください。」とのことでした。

家に帰ってみてみると、公共施設や駐車場、交通機関など、たくさんの補助が出ることが書かれていました。
そして後半のページにはたくさんの相談機関が羅列。

まずは補助について。
最近まで知らなかったのですが、手帳を持っているとたくさんの補助が受けられます。
ありがたい事ですが、とにかくこれが私は受け入れることができませんでした。

数年前、手帳を取得するかどうか迷っていた時・・・。
「手帳を取得しても、しなくても本人は何も変わらない・・・」と主人が言っていました。
手帳があってもなくても、やらなくてはいけないことは同じだし、本人が突然変わる話ではありませんよね。
何が変わるかって、社会が変わるんです。
「あなたは障害者ですよ。」っていう、カテゴリーに入るんです。

補助を受けていいのだろうか?
時々、どうしようもなく、そう思うことがあります。
中学に入った時も「支援学校、支援学級、入学お祝い金」というのがありました。
なんで、お祝い金が出るのだろう?兄の時な出なかったのに・・・。
かわいそうだから?なんで支援学級に入るとお祝い金が出るの?
ひねくれた考えかもしれませんが、素直に喜べない自分がいました。

本当に、ありがたい事だとは思いますが、手帳を持っていれば、補助を受けることができる、私にはとても不思議な社会の仕組みでした。

そして、もう一つ。
相談機関。
今まで小さいときは「こども発達相談センター」というところで相談し、小学校に入ってからは「教育センター」。
厚生労働省の管轄と文部科学省の管轄。違う省ということで連携もなく、苦労したのを覚えていました。
さらに「教育センター」では多様化する子友達の相談、先生の指導に大忙しで、相談のエキスパートというよりも、市の職員、というたまたま配属になった方も多く、相談に行くたびに心を痛めることが多くありました。

相談機関は他にないのか?と探したこともありました。
そして、手帳取得の際にもらった「しおり」には地域ごとに地域相談センターのようなところがたくさん紹介されているんです。
びっくりしました。
こんなに頼れるところがあるのか?素晴らしい!と思ったのと同時に、本当にこの相談機関は信頼できるのか?本当に機能しているのか?不安を感じました。
不安に思わず、相談してみるのが一番だと思いますが、この相談するというは、どれほどまでに疲れるものか・・・。
人それぞれかもしれませんが、私は今までの経験から「相談」にはとても緊張と不安を感じてしまいます。
何のために時間を使って、心を痛めて、相談するのか?
「参考になった」「こころが安らいだ」「勉強になった」「前向きになった」・・・などと思えた相談はあまりありません。
私自身が悪いのかな?と自分のことを反省した時も何度もあります。
なので、「しおり」に書いてある相談機関にはいまだに踏み込めていません。

トータルして、手帳を取得してから間もなく1年になろうとしていますが、私はまだまだ「手帳初心者」です。

あんなに、手帳取得に悩み、やっとの思いで取得した「療育手帳」。
耳が聞こえない、目が見えない、車いす・・・・などなどいろんな障害がありますが、障害について、また手帳の種類についても知らないことがたくさんあります。

「療育手帳」がどのようなものなのか?どういう人が持っているのか?知っている人も少ないと思います。

娘は最近、失敗をしたり、みんなと違うことをすると自分の事を「障害の子だから」と言います。

みんなと違う=障害ということを、社会で学びました。

決して私はそのようには教えていないし、そのように接したことはないと思っています。

小学校6年間、みんなと同じように教室で学んできた中で学んだことです。

しかし、障害を言い訳にはしてほしくない。そう強く思います。

前向きに何事にもチャレンジしていますが、最近、時々出てくる「障害の子」という言葉。

それだけ、自分の事がわかってきた、成長した、ということだと思います。

障害の子だから失敗しました・・・・ではなく、障害があるのでこう言う事がうまくできないのでサポートしてください。こう言う事はできます。と置き換えると、自分の事をよくわかり、何をサポートしてもらい何ができるのかを説明できる人、になります。

手帳を取得して間もなく1年。
私も娘も手帳初心者からステップアップし次に進む段階に来ているように思います。
「障害の子」
それが何を意味するのか、どうしなくてはいけないのか、何ができるのか!

この夏、ステップアップしていきたいと思います♪

療育手帳の取得手続きをするまで。

皆さんこんにちは♪
ブログ更新が1カ月以上ぶりにならなくてホントによかった!と思いながら、綴っています。
早く、記録しないと、いろいろと忘れそうで。娘の発達の事です。
伝えたい事もたくさん。

今日は療育手帳についてです。

私の娘ははっきりとした障害がわからないいまま、成長してきました。
小さい時は、成長の途中なのか、それとも障害なのか判断が難しいからです。

しかも、今はっきりと私も理解したわけではありませんが、自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー症候群、精神発達遅滞・・・。
いろいろありすぎて、どれにあてまはるのかなんて、乳幼児から小学校低学年ぐらいまで正確な判断はつきません。

そういう事も含めて「まだ成長の途中ですから・・・。」とどこの相談や病院に行っても言われていたのが今だからよく分かります。

そして、幼稚園卒業時、通っていた子ども発達相談センターで小学校入学の判断材料にと「広汎性発達障害の疑い」と心理士さんから言われ、「境界域の発達を示す」という医師の診断を受けました。
ちなみに「境界域の発達」とはいわゆるグレーゾーンと言われるものです。
障害に当てはまる症状と、当てはまらない症状があり、はっきりとしない状態、境界域にいる状態の事を表します。


その時は療育手帳の取得を進められませんでしたし、小学校も特別支援学校を進められることもありませんでした。
私たちも、特別支援学校ではなく地域の学校を望んでいました。
が、不安がなかったわけではありません。周囲にきちんと説明して学校側にサポートしてもらいながら、相談しながら6年間を過ごして行こうと思っていました。

しかし、幼稚園から小学校へ行くときには驚きがいっぱいありました。
小学校は文部省の管轄、子ども発達相談センターは厚生労働省の管轄。
なので、娘が小学校へ行くときは、親が学校へ申告しない限り、娘がグレーゾーンでサポートが必要だという事は伝わりません。

全て、親が発達センターに申告し、今までの発達記録等から学校への報告書類を作ってもらい、親が小学校へ説明に行くのです。
この時、「療育手帳」が必要なのかな?と本気で悩みました。
しかし、「手帳があってもなくても、娘自身はかわらない。」とアドバイスをくれたのは主人でした。
手帳があってもなくても、サポートする内容や私たちが接する態度、教育しなければいけない内容は変わらないのです。
手帳があるか、ないかで何かが変わる事なんて、ありません。

しかし、その一方で説明の大変さ、グレーゾーンである娘を理解してもらう事が本当に大変でした。
だって、常に説明し続けなければいけないのは母親ですから。
役員をやり先生たちと仲良くなり、毎年校長面談と担任面談を続け、懇談会では事あるごとに説明し続けてきました。

6年間、手帳なしで、サポートし続け、学校側に協力してもらい、娘の友達にたくさん助けられ、私もたくさんのママともに助けられ、感謝してもしきれないほどの周囲の愛に囲まれて過ごしてきました。

そして、中学校進学を見据えた6年生の春。
ここから進路問題、手帳問題がスタートしたのです。
地域の学校の特別支援学級に行くか?普通学級に行くか?
その時、すでに、全国統一で行われる6年生の国語と算数のテストはどちらも10点未満。
学校の勉強にはついていっていない状況でした。
皆と同じ空間にいて、皆の言葉を聞いて、できる事だけをこなす毎日。
その中で、勉強以外の色々な事を学んでいました。
支援学級か?普通学級か?迷う毎日。

その時に、もうひとつ頭を悩ませたのが「手帳」です。
療育手帳を取得するかどうか?

何のために取得するのか?取得しても本人は何も変わらない。そういった主人が「取得するべき」と言い出したんです。
私は、頭の中が真っ白で、前に進めず、放置してしまいました。

そこから、主人との意見の食い違いの始まりが・・・・。

主人:「中学進学のためにも病院に行ってはっきりとした診断をもらった方がいい。」

その言葉で、病院探しをしました。私もはっきりとした診断名が欲しかったので、病院探しをしました。
小学校での相談先は「教育支援センター」。
病院を紹介して欲しいという私の相談に「みなさん、個人で探していますよ。でもなかなか予約が取れないようです。」と。
それだけです。
友達からの情報により病院を決めましたが、月初めの決まった時間にしか予約の電話を受け付けてもらえず、1時間かけ続けてやっとつながったと思ったら、もう予約がいっぱいになったので来月の受付になりますと・・・・。

たまたま、親しくしている友達の紹介で電話予約ではなく、病院の先生を直接紹介してもらえることになり、受診。
学校を休んで娘と主人と三人で病院に行き、長々と待たされ、今までの発達の状況を長々と記録し、先生との診察は30分未満・・・・。帰りには学校の先生や私が記入する、小さい時からの発達記録の用紙を山のようにもらいました。

後半、一人廊下で待たされた娘は病院に対する不安を募らせ、「病院大嫌い!」と嫌悪感丸出し。
主人はその日のうちに診断がもらえると思っていたのに、もらえずに、待たされたことと、医学的根拠やアドバイスらしい言葉が先生からなかったことに不満をもらしていました。

主人:「次は診断をもらって手帳の手続きをした方がいい」

教育センターの相談にならない態度、何時間も電話の前で予約をとろうと格闘した時間、学校を休んでまで病院に来なくてはいけない事、娘を廊下で一人待たせ不安にさせてしまった事、なぜそこまでして診断と手帳が必要なのか理解できない気持ち。

私は泣きたい気持ちでいっぱいでした。

そして、そのまま心が暗闇に落ちたまま夏休みを迎え、娘の発達の遅れを目の当たりにする毎日。
こだわりの数々、できない事の多さ、一日中一緒にいる中で見えてきた現実。
周囲の子供たちは元気にプールに行ったり、部活に励む毎日。
それに比べて・・・・。と比べてはいけないと分かっていても、比べてしまう自分にも嫌悪感を感じ・・・・。

「療育手帳」の事はすっかり放置してしましました。
そして、迎えた夏休み後半の病院の受診日。
主人は「病院で受診して療育手帳を取得」と思って会社を休んで一緒に来てくれたようです。

が、しかし、私は放置していたのですから、病院の受診では診断もでなければ、手帳の事など何もありません。
しかも、病院と手帳は全くの無関係。
病院側は手帳があろうが、なかろうが関係ありません。手帳を取得した方がいい等というアドバイスも特にありません。
その時の娘は勉強ができない、という事ぐらいで、眠らない、うろうろする、癇癪を起すなどの問題行動はなかったので病院の先生かしてみると、なんとも対処しにくい患者だったといえるようです。

なので、育児相談のような受診となってしまいました。

そして、帰りの車の中は修羅場。

診断をとって手帳をもらえると思っていた主人。放置していた私。

主人「どこに行けば手帳が取れるんだ!」
私「友達が児童相談所って言ってたんだけど・・・(半泣き)」

その足で児童相談所へ。
「市役所で手続きをしてからですよ。」と言われ、その足で市役所へ。

申請資料を持ち帰り、翌日市役所へ手続きに。

その間、娘はどうしていたかというと・・・・。
ニュースで繰り返し出てくる「児童相談所」という言葉。
悪いニュースでしか聞かない言葉ですよね。
どうしてそんなところに行かなくてはいけないのか?わからない状態なんです。しかも親は喧嘩しているし。
やっと自分に障害があると理解しつつある中で、自分の事で喧嘩している両親、なんて厳しい環境なんでしょうか?
今でも反省しています。

改めて、数日たってから娘にはきちんと説明しました。
私たちの喧嘩を謝りました。
そして、主人ともきちんと話し合いました。
そして、話し合う事で見えてきたお互いの考えや気持ち。整理されていく感情。

障害の受容。

簡単な事ではありません。本人にとっても親にとっても。

でもこうやってひとつひとつ、勉強し、体験し、いろんな事を感じる中で受容していくような気がしています。
やっと、主人、私、そして娘と三人が同じ方向を向いて、どこに向かっていくのか、何をしなければいけないのか、理解し合いました。
話し合わなければ何も解決しないと改めて気づき、深く反省しました。
春から初秋にかけての出来事でした。(その間にも兄の壮絶な?!受験に向けての日常があったんですよ!うふふ・・・。)


では、あまりにもいろんな事がありすぎて長くなってしまったので、次は実際に手帳取得の手続きについて綴りたいと思います♪


ではでは、最後に恒例のオチです♪
私たち夫婦は隠したくても隠すことができないほど感情が高ぶりやすく、すぐに喧嘩してしまいます。
子供の前でもしちゃうんです。悪いと思っていてもついつい・・・。(いつも反省してますよ。)
なので、娘は私たちの喧嘩が大嫌い!!
日曜日、古くなっていたパソコンを解体していた主人。
私:「これなら、なんでも修理屋さんできるね。マンションだから需要があるかも!玄関に「修理やオープン」って看板だそうっかな。」
と冗談めいていう私。
娘:「今日は喧嘩の為、お休みします!ってなるよ。」と。一言。
あまりにもするどい一言に大笑い。

どうして、喧嘩ばかりで、悩んでばかりの母なのに、こんなに明るく育ったのかと!周囲の人々に感謝する毎日です。

では、続きもお楽しみに♪

特別支援学級。

皆さんこんにちは。

約半年ぶりのブログ更新・・・・。

本当はこのブログをいっそのこと閉鎖してしまおう・・・・!!と思っていました。

しかし、いろいろ考えてこのブログの自分自身の記録として、また気持ちを整理する日記的役割として大事だ!という事に気づきました。


本当に、ぼちぼちですが、たまに覗きに来てくださいね。


ではでは、今日は何を綴りたいかと言うと、特別支援学級について。
娘の事です。

ずっと悩んでいて、去年の11月かた止まっていたブログ。

出来事を綴る気持ちにもならなかったんです。
って、現実に負けてるんですよね・・・・(^_^;)

こんなことがあって、どうしてこうなっているのか?どうしてこういう状況なのか?自分はどうしたいのか?娘はどうしたいのか?家族はどういう想いなのか?一つずつ整理できない現実。

驚きと、怒り、落胆、また怒り、しまいに放置。
一番やってはいけない、放置。投げ出しです。最悪の負のスパイラル~。


だって、だって、どうして自分だけこんな事で苦労しなくてはならないのか?

神様に選ばれた???なんで私が神様に選ばれるのか??

娘が可愛くないわけではなく、もちろん大好きな自分の娘。

でも、どうやって育てればいいのか?どうやって道を選択すればいいのか?
これが親の責任?自分で結婚を決め、自分で家族を作り・・・・。全部自分で決めた事。

中学校へ向けて、新しい制服を準備し、ワクワク感満載の母親のはずか、学校が決まらず、いろんな情報に翻弄され、人の言葉に一喜一憂し、怒りと落胆、そして放置・・・・。

それでも、娘の前では明るく元気にニコニコと。

「お母さんいつも笑顔で偉いですね。」と言われるたびに、「そりゃ、怒って、とことん落ち込んで、泣いて、感情を何とか処理して、人前では明るく笑顔にしてるんじゃい!!」
と思いながらも、これを繰り返す毎日。

ほんと、いろんな事があった約半年間。

ゆっくりと、振り返りながら、少しずつこちらに綴っていきたいと思います。

とりあえず、半年間何があったのか・・・・。


①療育手帳取得。
市役所に申請して、児童相談所に子どもと出向き検査を受けて取得。
母親の聞き取り検査とたった5分の医師の問診だけ。散々待たされる。グレーゾーンだと取得に審査が必要。
検査の結果と医師の問診を元に、当事者や親のいない所で審査されるんです。
平日なので学校を休まなくてはならない。大きな市なのに児童相談所がなく、隣の市まで行く必要がある。
そんなこんなで申請から2か月以上たってやっと取得。
もういろいろありすぎて・・・不満だらけです。

②小学校の通常級から中学校の支援学級へ
うちのようなケースは初めてらしく、何かの手違いで、中学校の説明会の案内が来ない、結局参加できず
制服の注文もぎりぎり、入学通知書もこない、学校引落の口座の手続きの案内もこない・・・・。
取り残された状態です。

③中学校の支援学級が差別感満載


いろんな事がありすぎて、ひとつひとつ、またゆっくりと記録していきたいと思います。

ずっと、インクルーシブ教育とかユニバーサルデザインとかを自分なりに勉強してきて、できる事をやってきたつもりです。
ある程度は想定内で、何度も説明を繰り返し、歩み寄ってきたと自分なりに思っています。

がこの、小学校の通常級から中学校の支援学級への切り替えが、あまりにもひどく、怒りの方が強く出てきてしまった半年間。
(しかも、息子のドタバタ受験劇もあったのですから・・・・)

やっと、今落ち着いてきたところです。

まずは6月の授業参観までに、今までの事をまとめて、学校側に伝えようと思っています。
これからの娘のために、そして来年、入ってくる支援学級の子供達、そしてお母さんたちに、私のような気持ちになってほしくないので。

自分は何をしたいのか?何をしなければいけないのか?娘はどうしたいのか?どうなってほしのか?
いろんな思いがいつも駆け巡っていますが、毎日楽しく元気に、健康に過ごすことが基本。

やっと落ち着いてきた今から、負のスパイラルではなく、基本の毎日を送れるように、また頑張って行きたいと思います。

いつものオチですが、こんな私の負のスパイラルでも娘は明るく元気に育っています。
それが救いですね。

生まれ変わったら何になりたい?という質問に
「アナコンダ!」と即答する娘。
巻きつく力が強力なので、アナコンダになって雑巾をしぼりたいそうです・・・・・・笑

そこはかとなく明るい娘。

悩んだお母さんが、子供の明るさや成長した様子に救われるのは障害があってもなくても一緒ですね。


では、次のブログ更新が半年後にならないように・・・・笑
プロフィール

nori

Author:nori
B型。1976年生まれ。
日常をぼちぼち綴っていましたが
最近は支援学級に通う娘の記録。
時々、高専に通う息子のおもしろネタ。

インテリア、ハンドメイドな日常は
ブログ「105号の部屋」へどうぞ!

Family
 きまぐれな航空エンジニアのパパ
 高専男子、青春真っ只中の息子。
 知的発達の遅れのある中学1年の娘。
 ちなみに全員B型…。
 

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